ボクの心の移り変わり

その”悪い波”がきた時は、

本当に苦痛だった。

 

この感覚は、”症状に陥った人にか決して分からないだろう”と思った。

 

私は、過去に、鬱症状を隠していた男性とお付き合いしていた時があった。

症状の内容は違うかもしれないが、こんな思いをしていたのか・・・と

何とも言い難い感情に包まれた。

 

自分の体なのに、自分の体ではないような感覚なのだ。

動け!と思っているのに、足が重くて動いてくれない。

腕が上がらない。指先が動かない。

 

 

様々な症状が交互にやってくる。タイミングも分からない。

 

 

それでも、そんな状況でも、

夫は、寄り添って聞いて諭して、私の代わりに頭の中を整理して、

隣にいてくれた。

 

 

たびたび、補足しておきますが、

私はまだ、完治していないので、休職当初の最初の方の記憶は曖昧かもしれないので、

内容に繋がりがなくなっている事もあるかもしれません。お許しください。

 

 

 

 

 

ある日から、私は”掃除をしたい”と思うことができた。

 

 

体も動きそうだ。

 

掃除機を手にとり、隅々まで掃除する。

満足できたが、その後の疲労が重かった。

 

洗濯と掃除機をかける、ご飯を食べる・・・これが私にできたこと。

 

 

 

 

 

ふと、頭の中に浮かんだ物をイラストにしてみたいと思い、ペンを取った。

 

思ったまま描いてみた。

同じ系統のイラストだが、海へ沈んでいく女の子も描いた。

 

ただ、気持ちに任せ、ペンを走らせていたが、

そのうち、自分と夫の暮らしの中のエピソードを簡単に描いてみたいと思った。

▼それがinstagramに投稿されています。

https://www.instagram.com/inaba.cco/

よかったら覗いてください。

 

イラストを描いている間は、とても集中でき、余計なことを考え悲観的になることがなかった。

幼い頃から絵を描くことは好きで、

頭の中で想像しているモノを作り上げていくことが好きでした。

 

 

 

 

今までの私は、様々なことを頭の中で巡り巡らせ考え、

忘れないように忘れないように・・・・と無意識に行動もせっかちになっていた。

 

それが癖となり、

仕事での事も頭の片隅で四六時中考えていたようなもんだった。

 

 

仕事を休職した私は、

まず、「あとで」「忘れてもいい」「できなくてもいい」を意識するようにした。

 

そうしたら、おのずと、記憶力が続かないようになった。

最初は焦った。「どうしよう・・・何だっけ・・・・」って。

 

夫に話したら、

「今のボクちゃんには、大した事じゃないだろうから、忘れたままでいいんだよ」

「思い出したら、やればいいのよ^^」って。

 

 

その言葉を聞いた日から、夫曰く、私の行動は徐々に変わって行ったようだ。

でも、急には変わらずに、

本当に、徐々に徐々に、亀さんのようにゆっくり良い方法へ・・・・。

 

 

私は、最初は自分の周りのエピソードをイラストしようと思っていただけでしたが、

いい意味で忘れっぽくなる自分のために、

思い返せるように、夫の存在の有り難みをイラストに残したいと

思うようにもなりました。

 

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ボクんち。のボクと申しますぅ。


結婚1年目の夫婦の妻、ボクと申します。

今は、訳あってお仕事をお休みしていますが
詳しくはblogをご参照くださいね。


28歳です。夫も同じく。

好きなことは、

写真を撮ること、
ねずみのフレデリックを連れて出掛けて写真を撮ること、
掃除、整理整頓、DIY、観葉植物、旅行、お買い物、
夫と団欒すること、
ごろーんとすること、
カメのこつぶと戯れること
熱帯魚と戯れること

趣味は…ありませんwwww
趣味の作り方を教えてくださいw


共通のご趣味をお持ちの方と交流できたら
とても嬉しいです。





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休職生活のはじまり

その日から、私は休職となった。

 

コロナの影響で、在宅勤務となっていたので、ほとんど家にいたが、

派遣先から借りていたPCも返却した。

 

正式に休職になった途端、私は体調が一気に落ち込み、

会社から送られてくる書類の文字を見ることが出来なかった。

情報量が多すぎる・・・。

 

一日中布団に篭る日や、泣きじゃくったり、元気だったり、急に落ち込んでは夫を責めたり・・・・。

うつ病は、振り子の様に一日のうちに良くなったり悪くなったり何度も体調が変化する。

でも症状は、人それぞれで、性格でも違いが出る。

 

「ツレが鬱になりまして」と言う映画を見て学び、泣いた。

 

しかも私の場合は、うつ症状はこれが初めてではない。

新卒で入社したサービス業で働いている時代、24歳で一度、”軽うつ症状”と診断され、

休職はせずに、有給を使い一ヶ月ほどお休みをしたことがある。

 

”完治”とは診断をされないまま時がすぎ、

仕事復帰し、2度転職し、それで、現在の会社に至る。

 

うつについてベッドの中で調べていると、

うつ病は再発しやすく、再発すると症状は重くなる。と書かれていた。

反省した。

確かに、”あの時の感覚”より圧倒的に体調が良くなかった。

 

両腕が鉛のように重く感じたり、頭の中がボールペンでグルグルかき乱されたようになったり、

脚が重く歩けなかったり、毎日何度も泣いていた。

泣き疲れて眠って・・・・・。

当たり前のようにできていた、

洗濯、髪の毛を乾かす、食器を洗う、ご飯を作る、掃除、外を出歩く、人と気軽に話す、

・・・・こんなことができなくなっていた。

またショックを受けて、自分が情けないと感じた。自分に怒りを感じた。

 

私の夫は、私と違いコロナ禍でも外へ働きに出かけていた。

毎朝5時にサッと起き、

弁当を作り、朝ごはんを食べ、

出発の時間まで、ベッドに戻り仮眠するルーティーン。

 

夫は真面目でA型。毎日きっちり守る。何より優しいのだ。

 

お弁当に入りきらなかっただし巻き卵の残りと、ヨーグルトを用意しといてくれるのだ。

出発までの仮眠は、私の頭を撫でながら。

出発時には、私を布団にきれいに包み、行ってきますの挨拶。

 

私は、夫が職場の作業着が2着しかないため、毎日綺麗な作業着を着れるよう

どんなに体がだるくても、夫の作業着だけは洗濯して干すようにしていた。

 

他の服が湿ったまま放置されてても、

「作業着干してくれたの!ありがとー!」と感謝し、褒めてくれた。

でも、私は、”洗ったもの全て干せなくてごめんなさい”と思っていた。

思っては、泣き、

「何言ってんの!作業着だけでも干せたじゃん!すごいね!助かったよ!」と

いつもポジティブな言葉をかけて抱きしめてくれた。

 

一週間ほど、24時間のうち合計1、2時間ほどしか起きてなかったほど、

眠り続けたことがあった。怖かった。

 

こんなに寝ていいのか?

世間は働いてるぞ?

 

私は寝てて、夫は働いて帰ってきて、ご飯まで作ってくれる。

そして私が不安定な時は真正面から受け止めてくれる。

 

 

私は・・・・何なんだ・・・と。

罪悪感だ。罪悪感に潰されそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

うつ病のボクこんにちは。

※記録として残しておこう。

 

「助けて・・・」

やっといえた。

たった4文字の言葉なのに、

言いたい勇気も出たのに、なんでこんなにノドに詰まって出てこないんだろう。

とても不思議だった。

 

私は、妻の”ボク”28歳。

 

共働きの私たちは、晩ご飯をすませ、団欒していた。

 

ふと、私の頭の中に”疲れた” ”助けて欲しい”という言葉が浮かんだ。

”あぁ、もう限界がきた”と感じた。

 

夫は、私の言葉を聞いてどう思っただろうか。

 

夫も同じく28歳。

 

私は、自分の抱えている”助けて”を全て話した。

言葉に出した瞬間、様々な感情が溢れ出し、崩れていく。涙が止まらなかった。

 

私は、仕事でストレスを感じていて、最近体調も良好ではなかった。

でも、周りにSOSを出せなかった。

 

夫に初めてSOSを出せた。

夫は「一日休んで、様子見よう。もし、体調が戻らなければ、病院へ行こう」そういった。

 

体調は回復しなかったため、心療内科を受診した。

診断は「うつ状態

診断書にはそう記載された。

2ヶ月休職することになった。

 

うつ状態」の文字を見たとき、やっと、”自分で自分を痛めつけていた”と理解した。

 

診断結果を自社の上司へ報告した。

「それは、アカンな・・・」と言われた。

電話で会話をして、状態を話した。

声が震えた。

あんなにさらさらと言葉が出てくるお喋り好きな私だったのに、話出す度に「えっ・・・・と」となる。

いつものようなスピードで話せない。

いろんなショックがあった。

上司は「いいよ。ゆっくりで」と言ってまってくれた。

 

主な原因は何か?と考えた時、今の仕事の業務内容しか思い当たらなかった。

「この前の面談では、業務負担は高くないって言ってたけど?」と上司。

私は、「業務負荷は高くはなかったですが、責任が重いです。」と伝えた。

 

私は、自動車系の派遣会社の正社員で、

他の自動車のメーカーへ派遣され、プロジェクトマネジメント業務をしていた。

その業務メンバーが、派遣先会社の正社員であり、私の直属の上司だった。

その上司から与えられる業務内容について、私はいつもどこか引っ掛かりを覚えていた。

”これは、派遣社員である私が判断していいことなのか?”のような

仕事の直下ろしが度々された。

上司からの依頼内容は、一度で了解できたことは一回もないほど、説明足らずで、

微笑みながら無理難題を言ってきた。

業務をするにあたって不明点を聞いても「自分はわからない笑」と。

上司は、決して感情的に怒らない人だったことだけが救いだった。

微笑みのお面をつけたロボットのような人だ。

私は入社間もなかったため、”これは、私への教育なのだ”と自分に言い聞かせてやってきた。

それが半年ほどたち、業務内容も理解し始め、私は、最初に感じた引っ掛かりが、

自分の勘違いではなく、”自分の感覚(思考)は正しい”と思うことが増えていった。

社内に10%しか女性社員がいない環境だったが、業務していくうちに相談できる相手には、

個別で上司の事について自分の思いを笑い話として話した。

笑い話として・・・というのは、ミスをしても怒らないで居てくれる上司をかばいたい気持ちがほんの少しあったからだ。

ただ、相談した人たちからは、

 

「あの人の下でよく頑張っているよねー」

「あの人の言う無理難題を了解するのは、ボクさんくらいだよー」

「それは・・・ボクさんじゃなくて、彼が判断する内容じゃないか?判断できないよね?困るよね?」

「あの人は他の部署にいた時も、部下は困ってた人多いよー。会話が難しいって」

 

と、様々な内容が入ってきた。

 

それを聞いて私は、初めて”かばう価値のない上司”と実感し、理解した。

その頃から、”自分を守れ!”と私の脳は何度も言っていた。でも、行動に移せなかった。

私は、無意識に何度その言葉をスルーしたんだろう。

ストレスは、夫に聞いてもらっていたが、大した消化もされないままどれだけ自分をいじめたんだろう。

 

自分がうつ状態になる迄の経緯を自社の上司へ一通り説明した後、

 

「本当にごめんな・・・・。反省してる。責任か・・・」

「ボクさんは真面目だもんな・・・溜め込んじゃったんだよな・・・・本当にごめんね。」

「話してくれてありがとう」

「ボクさんの気持ちを第一優先でこれからのことは進めていくから、安心して、休養してね」

 

と謝罪と、了解の言葉が聞こえた。

 

 

私は電話が終わる頃には、疲れ果て、

電話が終わり、夫に全て連絡が完了したことを伝えると、

「頑張ったね!いったん、これで少し気が楽になったんじゃない?もっと周りを信用していいんだよ。みんなボクちゃんを守りたいんだもん。もう少し、信用してあげよう?これからはうんと休もうね」と頭を撫でてくれた。

私は泣き崩れた。

そうだ、夫の言う通り、私はあまり人を信用しない。

信用しないと言うか、本音を伝えるのが怖いのだ。本音を言っていい相手か見定められないから・・・。