休職生活のはじまり

その日から、私は休職となった。

 

コロナの影響で、在宅勤務となっていたので、ほとんど家にいたが、

派遣先から借りていたPCも返却した。

 

正式に休職になった途端、私は体調が一気に落ち込み、

会社から送られてくる書類の文字を見ることが出来なかった。

情報量が多すぎる・・・。

 

一日中布団に篭る日や、泣きじゃくったり、元気だったり、急に落ち込んでは夫を責めたり・・・・。

うつ病は、振り子の様に一日のうちに良くなったり悪くなったり何度も体調が変化する。

でも症状は、人それぞれで、性格でも違いが出る。

 

「ツレが鬱になりまして」と言う映画を見て学び、泣いた。

 

しかも私の場合は、うつ症状はこれが初めてではない。

新卒で入社したサービス業で働いている時代、24歳で一度、”軽うつ症状”と診断され、

休職はせずに、有給を使い一ヶ月ほどお休みをしたことがある。

 

”完治”とは診断をされないまま時がすぎ、

仕事復帰し、2度転職し、それで、現在の会社に至る。

 

うつについてベッドの中で調べていると、

うつ病は再発しやすく、再発すると症状は重くなる。と書かれていた。

反省した。

確かに、”あの時の感覚”より圧倒的に体調が良くなかった。

 

両腕が鉛のように重く感じたり、頭の中がボールペンでグルグルかき乱されたようになったり、

脚が重く歩けなかったり、毎日何度も泣いていた。

泣き疲れて眠って・・・・・。

当たり前のようにできていた、

洗濯、髪の毛を乾かす、食器を洗う、ご飯を作る、掃除、外を出歩く、人と気軽に話す、

・・・・こんなことができなくなっていた。

またショックを受けて、自分が情けないと感じた。自分に怒りを感じた。

 

私の夫は、私と違いコロナ禍でも外へ働きに出かけていた。

毎朝5時にサッと起き、

弁当を作り、朝ごはんを食べ、

出発の時間まで、ベッドに戻り仮眠するルーティーン。

 

夫は真面目でA型。毎日きっちり守る。何より優しいのだ。

 

お弁当に入りきらなかっただし巻き卵の残りと、ヨーグルトを用意しといてくれるのだ。

出発までの仮眠は、私の頭を撫でながら。

出発時には、私を布団にきれいに包み、行ってきますの挨拶。

 

私は、夫が職場の作業着が2着しかないため、毎日綺麗な作業着を着れるよう

どんなに体がだるくても、夫の作業着だけは洗濯して干すようにしていた。

 

他の服が湿ったまま放置されてても、

「作業着干してくれたの!ありがとー!」と感謝し、褒めてくれた。

でも、私は、”洗ったもの全て干せなくてごめんなさい”と思っていた。

思っては、泣き、

「何言ってんの!作業着だけでも干せたじゃん!すごいね!助かったよ!」と

いつもポジティブな言葉をかけて抱きしめてくれた。

 

一週間ほど、24時間のうち合計1、2時間ほどしか起きてなかったほど、

眠り続けたことがあった。怖かった。

 

こんなに寝ていいのか?

世間は働いてるぞ?

 

私は寝てて、夫は働いて帰ってきて、ご飯まで作ってくれる。

そして私が不安定な時は真正面から受け止めてくれる。

 

 

私は・・・・何なんだ・・・と。

罪悪感だ。罪悪感に潰されそうになった。